FARCES

 

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評言狂言随想小説欲望造語勉強臭気


28.10.16 (15:20) :

「自分は何者か」ということへの答えは、その問いを手放すことで得られるだろう。

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27.01.16 (15:10) :

人の迷走ぶりを笑う者は、おおかた、立ち止まっているだけの人間だろう。

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18.02.15 (06:40) :

孤独は、人のことを理解しようとしない自分の心から生まれる。

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12.02.15 (22:40) :

約束を破らないのが友達なのではない。

破っても許すのが友達なのだ。

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26.11.14 (22:40) :

子供を増やすより前に、大人を増やすべきだろう。

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15.06.14 (15:50) :

自らが努力すべき者ほど、人のことを応援したがる。

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01.06.14 (13:10) :

多くの者が、自らの生を意味づけるために波を作ろうとする。

しかし、その波に飲み込まれて苦しむ人間が少なくない。

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18.05.14 (18:50) :

分からないことの原因には、見ていないということがある。

そして、見ることができないことの原因には、見てもわからないかもしれないという不安がある。

つまり、きちんと見さえすれば分かるのだという思いがあって初めて、人はものを見ることができるようになるのだ。

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19.03.14 (17:50) :

何者かになろうとするな。

自分自身になれ。

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02.03.14 (17:40) :

デカダンに惹かれるのは、それとは本質的に無縁な人間だけだ。

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30.12.13 (20:50) :

逃れたいと強く望む気持ちは、逃れられないという自らの固定観念がもたらすものだ。

つまり、まずもって本当に逃れ難くあるのは、自分自身の考え方に関してなのである。

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16.10.13 (23:40) :

人を馬鹿にするということは、馬鹿にしていないということだ。

本当に人を馬鹿にしている人間は、人を馬鹿にしたりなどしないからだ。

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02.03.13 (14:10) :

信仰は祈りを排除する。

なぜなら、導きのままにすべてが与えられると信じるのならば、もはや祈る必要などないからである。

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25.02.13 (10:10) :

多くの人が成功の理由を、当人の才能によるものと考えたがる。

しかし成功についての、見逃されがちだが重要な特性とは、それが確率的事象であるということだ。

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23.12.12 (12:00) :

無駄は努力の属性である。

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04.07.12 (10:20) :

自分の中に欠点があるとするなら、それを補うものも与えられている筈だと、やはり、そう考えるべきだろう。

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01.04.12 (13:40) :

教育は愛情だ。

教育には、愛情が不可欠だという意味合いではない。

教育は愛情に含まれているということだ。

教育は愛情の部分集合なのだ。

教えられたことを踏まえて、自らの生に生かすことを期待できない者に、誰が教育などなし得るだろうか。

教える側には、あらかじめそのことが期待されているのである。

だから、教育がなされるときにはすでに、つねにそこに愛情があるのだ。

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03.11.11 (14:00) :

酒は、飲んでかかれ。

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03.11.11 (14:00) :

弱者にできるのは、せいぜい文句を言うことくらいだ。

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17.10.11 (03:00) :

吐かれた毒は、すでに毒ではない。

つまりは、飲み込んでこそ、毒。

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09.10.11 (00:20) :

責任を取る気がないのは子供だ。

責任が取れる気でいるのも子供だ。

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29.07.11 (18:30) :

見栄というのは、自分が誰にも注目されていない事実から目を逸らすために支払われる、かなり高く付くコストだ。

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08.02.11 (22:10) :

偉大さへ至る道は、自分自身に徹することの中にあり、また、そこにしかないものだ。

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17.11.10 (02:00) :

男は浮気をする生き物だと公言することは、自分は浮気されても仕方がない女だと世間に対して表明していることと同じだ。

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06.10.10 (11:20) :

我慢はしばしば、頭を使わないことへの方便にされる。

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21.08.10 (18:00) :

自分を受け入れてくれないなら相手を受け入れられないという思いは、おおむね受け入れられない。

しかし、その思いを捨てられないままに、受け入れられることを望む者が少なくない。

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12.05.10 (23:20) :

欠点を正そうとすることは、それ自体が、一つの欠点だ。

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02.05.10 (12:40) :

対抗は自慰である。

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24.07.09 (14:30) :

生きることが歓喜であるなら、その意味を問う必要はなくなる。

生の意味を問題にすることは、それ自体が、一個の敗北なのだ。

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24.07.09 (14:10) :

自らについて、ポジティブであるべきだとすることは、つまり、自己の否定であって、結局のところ、それはネガティブな思考でしかない。

ネガティブであっても構わないという考えの方が、よほど、多くのポジティブさを含んでいる。

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24.03.09 (23:50) :

いま以上のものが、つねに自分を待ち受けていることが分かったら、何ごとにも捕らわれる必要がなくなる。

その声を聞くことが、悟りであり、また、福音なのだ。

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08.03.09 (12:30) :

我慢は無能者のための労役だ。

我慢を受け入れることは、自分が無能であることを受け入れることと同じだ。

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07.02.09 (16:40) :

人は、生まれるときと、生まれ変わるときに、叫び声を上げる。

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08.11.08 (13:20) :

なぜ、焦るのか。

それは自分で、駄目かもしれないと、思っているからだ。

けれども実際のところ、失敗を引き寄せているのは、その恐れだ。

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29.06.08 (13:20) :

我慢しない。

言い訳しない。

時が間延びし、老いぼれてしまうから。

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20.02.08 (07:10) :

自己を肯定できていない者は、肯定の対象とはならない。

そのため、まず自ら、自らを肯定しなければ、誰からも本当の意味で、肯定されることはない。

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11.11.07 (20:50) :

私が求めているのは、回答ではなく、示唆である。

他人の回答を、そのまま自らのものにはできないからだ。

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18.07.07 (21:50) :

どうか言葉が、心を導いてくれますように。

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29.05.07 (20:20) :

本当に求めることのできた者にしか、与えることはできない。

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29.05.07 (20:20) :

価値のないものへの対抗は、自らを意味づける。

しかしそれは同時に、自らを無価値化する罠だ。

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06.05.07 (21:00) :

人を理解するというのは、論理ではなく、愛情の問題だ。

愛情による理解は、たとえ裏切られても、だからといって間違いであったということにはならない。

裏切りにあってこそ正解だったと言えないのなら、それは愛情とは呼べないからだ。

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20.04.07 (10:10) :

アピールはすべて、甘えに分類されるべきものだ。

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08.04.07 (17:50) :

優しさは安売りされ、つねに冒涜され続けている。

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06.04.07 (23:10) :

彼の知っている神は、一つだけ。

それは、純粋を守る孤独という名の神だ。

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05.03.07 (20:30) :

好かれたいとは思っても、好かれようとは思うな。

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01.03.07 (00:00) :

多くの人間が怒りを否定するその訳は、ただ自らの怒りに自信がなく、あらかじめ先回りして逃げているという、それだけの話だ。

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23.02.07 (21:40) :

心から血が流れたら、指で掬って、美しい詩を書こう。

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11.02.07 (18:40) :

誰にも届かないからこそ、言うべき言葉がある。

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28.01.07 (12:30) :

自分が充実して時を過ごしていられれば、誰に理解されなくとも、その人は孤独ではない。

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11.01.07 (23:50) :

彼は、ほとんど誰のことも受け入れることができない。

だから誰からも受け入れられるということがなくても、それは仕方がないことなのだと受け入れている。

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03.01.07 (17:30) :

博愛からは、虚無の臭いがする。

そこでは誰も、誰からも意味付けられることがない。

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31.12.06 (12:50) :

自分のいまの境遇が、屈辱であることを忘れるな。

そのことに言い訳をするな。

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26.12.06 (23:30) :

受け入れられないことは、受け入れられることよりも、ずっと素晴らしい。

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16.12.06 (07:40) :

自信は何によって与えられるか。

自分の中にある嘘を見抜き、縊り殺すことによってだ。

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03.12.06 (13:00) :

我慢の美徳を説くことの概ねは、人に我慢を強いることを自らが我慢できていないという、ただの矛盾でしかない。

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22.11.06 (23:50) :

素晴らしさは、素晴らしさを触発する。

つまり人から示された素晴らしさは、自らの心の中にある素晴らしさを目覚めさせるようにして働く。

しかし、素晴らしさそのものを直接、人から譲り受けることはできない。

それはただ、自ら作り出すしかない。

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13.11.06 (23:50) :

大切なのは、偽物を諦めることだ。

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31.10.06 (19:30) :

気の持ち様は、すべては気の持ち様という認識などでは、変えられない。

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22.10.06 (01:40) :

強さが、弱さの何をも知らないということはあるだろう。

しかし高さはいつでも、低さのすべてを知っているのだ。

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11.10.06 (21:00) :

怒りの多くは、自分以外の人間に期待することから生まれる。

それはつまり、自らのみを恃むことができない人間の、自らに対する怒りだ。

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04.10.06 (23:00) :

彼は、心がそれを掴んだと思える瞬間まで、対象に熱中する。

そして、おおかた掴めていると自惚れていられる対象には、まるで興味がない。

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29.09.06 (06:50) :

純粋は孤独だ。

それは他人を排し、自分自身をもまた排すからである。

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19.09.06 (01:00) :

おしゃべりで人の心が満たされることはない。

だから、その事実から逃れるために、おしゃべりは虚しく続けられる。

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10.09.06 (14:20) :

泣いていない心はない。

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01.09.06 (22:50) :

素晴らしさには、説得も、証明も、言訳も無用だ。

それが、素晴らしさの素晴らしさだ。

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27.08.06 (22:20) :

もっとも大きく、かつ、もっとも必要なコストは、つねにコストに関わるということだ。

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16.08.06 (22:40) :

大きすぎるものは、掴むことができない。

それは手を当て、感じ取ることしかできない。

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11.08.06 (21:40) :

彼の世界は狭い。

だから彼は、他の誰より真剣だ。

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08.08.06 (11:30) :

金に執着するのは、逃避だ。

しかし、金に頓着しないのもまた、逃避だ。

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02.08.06 (20:50) :

罪を償うなどということが自分にできると思うような人間の、その無邪気さはすでに罪である。

罪の償いはできない。

罪に対する埋め合わせなど、存在しない。

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18.07.06 (23:00) :

行うこととその意味を問うことを、分離させよ。

行いながらその意味を問い、ためらいと焦りに息を詰まらすのは、無能力の証だ。

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14.07.06 (21:40) :

悩みは、自分がなすべきことを知らない人間の、慰みの道具にすぎない。

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13.07.06 (23:20) :

困難には、自分が自分に許している嘘を殺すという重要な役割がある。

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10.07.06 (18:20) :

孤独とは、誰からも理解されない者のように、自らを感じるということではない。

孤独とは、誰にも理解されるに値しない者のように、自らが感じられるということだ。

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02.07.06 (13:20) :

前進はつねに、漸進的である。

それを見まいとする者に、前進はない。

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30.06.06 (21:00) :

慰めも、ときには悪くないかもしれない。

けれども、もっとずっと必要なのは、慰めを拒否する心だ。

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26.06.06 (23:00) :

称賛はしばしば、安易な自己肯定への返礼でしかない。

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19.06.06 (20:50) :

表現の源は違和である。

つねなる表現者は、永遠のよそ者だ。

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13.06.06 (23:30) :

状況をつねに新たなものと捉えるなら、自信というのはいつでも根拠のないものとなる。

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08.06.06 (23:40) :

彼は、美しい景色を探すために敢えて出かけて行くようなことはしない。

なぜなら、どんなに美しい景色も、彼の頭の中にある景色には及ばないからだ。

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06.06.06 (23:10) :

絶望は、いつかは何とかしなくてはならないものを、そのままにすることから生まれ、だからつまりは、それそのものなのだ。

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31.05.06 (20:30) :

自らが無価値であるという感覚から目を逸らすことは、自らの無価値感を高める。

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22.05.06 (23:20) :

天才が逡巡を殺すのではない。

逡巡を殺す力が天才となるのだ。

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18.05.06 (23:50) :

称賛を得ようとすることは、自らの欲望のために万人に跪くことに他ならない。

肯定されんがために行う者は、自分自身をも含めた、万人の奴隷である。

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13.05.06 (18:40) :

作為的なもので美しいのは、意志だけだ。

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10.05.06 (23:30) :

虚しさの多くは近視眼的である。

それは、人類とていつかは必ず滅びることを少しも思っていない心によって、抱かれる。

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05.05.06 (23:40) :

前向きであるべきだと自分に言い聞かせることは、言わば自分への無理強いなのであって、それ自体が後ろ向きなことでしかない。

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26.04.06 (23:30) :

感傷は、間引かなければ腐る。

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25.04.06 (22:40) :

一番抱きしめたいのは、独りで悲しんでいる、幼い頃の自分自身だ。

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24.04.06 (21:50) :

何かをやろうとするとき、そこで他の誰かに決して敵わないという事実に心が傷つけられるのなら、それをやるべきではない。

すべての者に敗れるのだとしてもやるというのでなければ、真の適格者ではない。

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18.04.06 (22:50) :

無駄な抵抗の否定は、生きることそれ自体の否定だ。

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16.04.06 (22:40) :

なぜ憎しみは連鎖するのか。

憎しみがそれを抱いた者の生を、強く意味付けるからだ。

問題は、そうした意味づけを人間が求めていることにこそある。

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13.04.06 (23:30) :

粘り強さ。

これ以上のものがあるだろうか。

生きるということは、粘り強く生きるということだろう。

それが欠けているときに人は、本当に生きているのではないのだ。

執拗さなしには何も作り出せず、分かることもできず、だから少しも生きることができない。

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11.04.06 (22:00) :

彼は理解された。

理解されることを拒否する心を、理解された。

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09.04.06 (21:30) :

アフォリズムは、ただの誇張や皮肉であってはならない。

たとえ正しさの一部でしかないのだとしても、事実をそのままに言い当てたものでなければならない。

誇張や皮肉には人間に対するある特定の態度がその前提としてあるのだが、そうした傾向こそがアフォリズムの対象だということを、見逃してはならない。

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02.04.06 (20:50) :

自分以外の人間に失望するときには同時に、そうした期待を持った自分自身に対しても失望する。

つまり人に期待するのは、二重の意味で失望の種を撒くことだ。

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28.03.06 (22:20) :

自分は望んで生まれてきたのではないとすることの中には、望んで生まれてきたのだとすることと同等の、あるいはそれ以上の嘘が含まれている。

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26.03.06 (20:10) :

表現すること自体が不作法であるような、だから自分以外の人間からは受け入れられることがないほどまでの激しい感情を、それでもただ自分自身でだけは、深く愛せ。

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20.03.06 (20:50) :

性善説は人間に対する期待そのものであるが、性悪説もまたその裏側であるにすぎない。

それらは人間への期待から生まれたものであり、かつ単純な捉え方を自分に許している意味合いにおいて、二重に甘えた見方である。

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13.03.06 (22:00) :

何かを逃れがたいと思うのを、安易に自分に許してしまうこと。

その安易さは逃れがたい。

そう考えるのは、安易である。

そうして、それは逃れがたい。

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06.03.06 (21:10) :

自分に対する自分自身からの評価も、自分以外の人間からのそれも、どちらも正当なものとは言えない。

けれども、そのいずれからも目を逸らさずにいることは、つねに正当なことである。

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01.03.06 (22:20) :

信じる者でさえ救われるのだから、信じない者はなおさらだ。

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27.02.06 (22:10) :

誤りというのは、とても愛らしいものだ。

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16.02.06 (06:10) :

自分を甘やかすことで得られる幸福、というようなものはない。

自分を甘やかすことを許せる心の状態が、幸福の一つのあり方であるだけだ。

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10.02.06 (21:00) :

ある音楽に感動したと表現することは、耳が聞こえない人間を傷つけてしまうかもしれないという事実と繋がっている。

そんな風にしてどんな表現も、誰かを傷つけるかもしれない可能性と結びついている。

つまり表現は初めから、逃れがたい厚かましさと共にある。

人を傷つける表現をしてはならないと表現することは、表現が人を傷つけるかもしれないということに心を痛めているその人を、傷つけることである。

だから、それは厚かましい人間の、無邪気さの極み、そのものだ。

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02.02.06 (21:20) :

怒りはそれを抱える者にとって確かに重荷なのだが、しかしまた、そうであるが故に背負い続けられることが少なくない。

怒る人はその怒りを何度も背負い直し、これしきの重荷になど負けはしないと、自らに言い聞かせるのである。

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30.01.06 (22:00) :

太陽のせいで人を殺すというのを自分に許さないこと。

それが倫理である。

人を殺さないことが倫理だというのではない。

太陽が酷く照りつけたら人を殺しても良いという、その繋がりを許さないこと。

それが倫理なのだ。

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26.01.06 (22:00) :

私が言いたいこと、それは私以外の誰かも言いたいことであるに違いない。

だから、私は言う。

私が言いたいこと、それは私以外は誰も言いたいとは思わず、だから私でなければ言えないことであるかもしれない。

だから、私は言う。

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21.01.06 (23:40) :

誰も自らの死を知らない。

それゆえ誰も、自殺の是非を語ることはできない。

自殺について判断しようとするとき、それは自分以外の人間の死についてでしかない。

なぜなら自分は死んではいないのだし、死んだこともないからだ。

けれども自殺において問題なのは、明らかに自分にとっての自分の死である。

自殺の強い否定は、自分以外の死への嘆きである以上に、自分の死を語り得ぬことに対する苛立ちなのだ。

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18.01.06 (21:20) :

原因と結果との関係において、どちらが原因ともつかない場合には、それが働きかけるべき対象であるなら、差し当りより制御可能な方を原因と捉えるのが賢明だ。

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15.01.06 (22:40) :

笑いは、秩序の裂け目に吹く風だ。

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12.01.06 (08:40) :

逃げたいことから逃げるとき人は、逃げていることからも逃げるようにして逃げる。

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10.01.06 (17:20) :

面子を保ちたいという気持を知られてしまうことは、自分で自分の面子を潰すことだ。

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06.01.06 (11:10) :

自分以外の人間を自分と同じような存在と見て、私はなぜ私なのか、なぜ他ならぬ私なのかなどと問うてみることは、本人がそれと気づかずに演じている芝居にすぎない。

なぜなら、同じようだと見るその見方が有用だというだけであって、自分と自分以外の人間が同じような存在であるというのは本当ではないからだ。

それはただ、自分にとって自分が特別であるという当然のことに、ことさら驚いてみせるためのからくりでしかない。

自分以外の人間が、自分と同じように様々なことを認識し思考しているということを確からしく感じるのだとしても、そのことを認識している側と、そう認識されている側とが同じであることなどあり得ない話だ。

自分が自分であることの不思議は、世界が存在していることの不思議と同じだ。

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05.01.06 (20:10) :

自分を肯定してくれるような、しかし決して安易なものではない、そうした言葉を、心は待ち望んでいる。

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25.12.05 (23:40) :

競技における遊戯性の指標は、偶然性の多寡である。

すなわち、偶然性が支配する割合の多い競技は、遊戯に近いものとなる。

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22.12.05 (17:20) :

分別はつねに、逃避への一契機であり得る。

しかし、情熱もまた然りだ。

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18.12.05 (12:30) :

彼は強大な権力をもとに、すべての愚か者を、愚かな順に殺していくべきだとした。

しかし実際にそれが実行されると、すぐに彼の番が回ってきた。

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13.12.05 (21:50) :

精神であることはつねに選択を強制されることであって、だから同時に、精神であり続けることはその強制を選択することである。

つまり、精神は選択の強制であり、また強制の選択である。

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09.12.05 (23:30) :

辛いことや悲しいことがないとしたら。

だから、それらをもう一度、生まれ変わらせることができないとしたら。

素晴らしいものなど、ある筈もない。

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07.12.05 (20:10) :

まだ考えの足りない状態が、しばしば考えすぎと呼ばれる。

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05.12.05 (20:20) :

天才は幾多の選択の末に、ただ一つのものを掴み出す。

けれども鈍才は、天才には初めからそれが見えていたのだと思おうとする。

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02.12.05 (21:40) :

アンテナを張り巡らすことは、アンテナを鈍らせる。

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01.12.05 (19:30) :

努力をつねに充実と見るのは、一種の怠惰である。

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29.11.05 (20:20) :

事実に反する理屈を導き出すことは、思索の重要な役割の一つだ。

だから、いつでも事実に裏打ちされることを望むのは、思索を殺すことである。

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27.11.05 (21:40) :

孤独は才能を可能にする。

つまり孤独は、才能を生み出す才能だ。

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25.11.05 (21:30) :

そうであってはならないという意見、その頑なさが人の心を傷つける。

しかし同時に、そうした意見は自らを支えるものでもある。

であるならば人は、傷つくことと不安定さとの間で、折り合いを付けなければならないことになる。

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23.11.05 (21:40) :

やれば誰でもできることというのは、しかし誰にでもできることではない。

なぜなら、やるということが誰でもできることではないからだ。

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21.11.05 (19:10) :

問題は人の意見を聞かないことにではなく、自分の意見に逃げ込むことにある。

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16.11.05 (00:20) :

論理を飛躍させることができるのは、一種の才能だ。

ただし、そのことを自ら批判できるのであれば。

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14.11.05 (20:00) :

喜びを分かち合おうとすれば、理解されずに半減してしまう。

悲しみを共有すれば、互いに苦しみ、倍になってしまう。

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12.11.05 (13:30) :

単調な作業は思索の庭である。

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09.11.05 (22:10) :

すべての表現には、そうするに値すると自ら前提しているような救いがたい厚かましさがある。

言い訳を前置きしたとしても、それは無駄なことだ。

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08.11.05 (22:20) :

彼がひどく選り好みをするのは、初めから何も得ようとなど考えていないからだ。

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07.11.05 (22:00) :

諦めようとして諦めるということは、本当の意味で諦めることではない。

なぜなら人はそのことをもまた、諦めることができるからだ。

諦めるということはただ、どうすることもできないものを、そのまま認め受け入れることだ。

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05.11.05 (22:30) :

飲み込みやすい物語は、心を麻痺させる毒だ。

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05.11.05 (01:00) :

魂は孤独だが、精神は一つのものである。

人性は変わることがないけれども、人はそれぞれが、それぞれだ。

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04.11.05 (01:10) :

優しさには、それを諦めること、つまり自分の優しさが届かないことを受け入れるということが含まれている。

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03.11.05 (01:50) :

すべての戒めについて、それを守りさえすれば良いと捉えてはならないという、高次の戒めがある。

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01.11.05 (23:30) :

希望の強調は絶望の表現だ。

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30.10.05 (23:30) :

人々が物語を好むのは、自分以外の生を生きるためではなく、自分の生を生きないためだ。

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26.10.05 (20:10) :

寂しいということの中身は、ほとんどが、そうした自意識を自分に許したことへの寂しさなのだ。

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25.10.05 (20:50) :

自分が何かに向けた好奇の目を、すべて集めて自分に差し向けたならば、そこで自分が上げるだろう叫び声を、何処かに聞け。

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23.10.05 (23:20) :

好機によってしか得られないものならば、すべてそのまま捨てておこう。

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23.10.05 (00:40) :

探すとはどういうことかを探している。

求めるとはどういうことかを求めている。

生きるとはどういうことかを生きている。

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